Voices

1月23日[2026]

Marihiko Hara

静けさの中に、凛とした強さが響くピアノ。気鋭の音楽家・原 摩利彦が希求する「音」の原点

2025年に公開されてから、数々の映画賞を総なめにした映画『国宝』をはじめ、舞台やドラマ、インスタレーションなどで音楽を手がける原 摩利彦氏。VS.のサウンドシステムを担う佐藤 博康氏とも親交が深いこともあり、佐藤氏を通じて2026年1月、VS.にてトリオ編成でのコンサートが実現した。VS.音響エンジニアチームもその音の良さに色めきたったというライブ前日、入念なリハーサルの合間を縫って、時代の寵児の音楽の原点、音作りに対する考え方から、今後の展開までを聞いた。

王道と異なるスタンスから「音楽家」へ。
衝撃を与えた2つのトリガー

原摩利彦
原 摩利彦

子どもの頃、音楽教室でクラシックピアノを習っていたんですが、10歳頃からなんとなく肌に合わなくなって。今思えば「音楽教室で習う」ことが苦手だったのかもしれません。でも中学に入る頃から、今度は自主的にピアノを弾きたくなった。

本格的に音楽家になることを意識したのは、僕が13歳の時に大阪で坂本龍一さんの「1996 トリオワールドツアー」を観てからですね。当時は音楽家なんて言葉も知らず、漠然と作曲家と思ったくらいで。そもそもどうすれば作曲家になれるのかもわかっておらず、”作曲を習う”というのはどうすればいいのだろうと思いました。
一時は音大入学も考えましたが、音楽を「勉強する」のは、やはり向いていないと感じました。コードとか和声とか、理論的なことが嫌いなわけではないのですが。学習する音楽と、自分が作ることのできる音楽には違いがあると感じます。…坂本さんの影響はそちらにあったのかもしれません。

原摩利彦
原 摩利彦

これは僕の中で一貫していて、京都大学に入学したのも音楽家になるためでした。坂本さんは東京藝術大学ご出身ですが、「いつか将来お会いした時に、同じ大学の後輩でない方が対等にお話しできるかも」と17歳の時に考えたのを憶えています。

実際に直接ご挨拶できたのは2005年の、京都法然院でのシークレットコンサートです。実は高校の頃、坂本さんのラジオ番組のデモテープオーディションに投稿していまして…残念ながら僕は一度も選ばれなかったんですが、弟(原 瑠璃彦氏、現在は能・日本庭園研究者)は何度か選ばれていて、兄弟で名前が印象的だったのか、初めてお会いした時にも覚えてくださっていました。

原摩利彦
原 摩利彦

僕はずっと京都を拠点に活動していたので、京都のアーティストグループ・ダムタイプの方々とも関わりがあったんです。そこで、坂本さんとオペラのお仕事をされていた高谷史郎さん経由で、坂本さんにつながることができました。

初めてご一緒したのは、2014年の、NHK-FMのニューイヤースペシャル。30歳ぐらいのアーティストを4人選んで即興セッションする企画で、坂本さんからその一人に選んでいただきました。

即興セッションでは、事前の打ち合わせも何もなくいきなり坂本さんがガーン!と轟音をぶつけて来られて。「覚悟はあるのか」と問われた気がしました。長く在籍していた大学院を退学したのは、これがきっかけです。

原摩利彦
原 摩利彦

今回の映画『国宝』の音楽を聴いた方からも、坂本さんのスピリットみたいなものを感じるといわれます。でも自分でよく聴くとわかるのは、音が全然違うんですよ。

シンガポールで坂本さんのコンサートのリハーサルに立ち会った時、坂本さんのピアノで僕が音出しをしたことがあるんですが、これが全然鳴らなくて。鍵盤も重いし、思った音が出ないんです。そのことを伝えたら笑っておられ、一曲弾いてくれた。横で見ていると、体の重心をすごく使って弾いている印象でした。だから坂本さんの影響を受けているといいつつ、ピアノの音もまるっきり違うわけです。

原摩利彦
原 摩利彦

中学の時、ベートーヴェンにも傾倒しました。当時、映画『不滅の恋/ベートーヴェン』などで、ちょっとしたベートーヴェンブームがあったんです。ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』のモデルがベートーヴェンだと知って、ロマン・ロラン研究所の読書会に参加したり、機関誌に寄稿したりして。97年当時、研究所で最年少だったそうです。ませた活動をしていましたね。

なかでもピアノソナタやシンフォニーを好んで聴いていました。「熱情」ソナタ第2楽章冒頭の三小節にある和音が僕にとって「たまらない和音」で、「こんな音をもっとつないでいきたい」と思って音を探していたのが、僕の音楽家としての原点にあるかもしれません。

コンサートは「新たに作曲し直す」場。
自身の音楽を紡ぎ出すトリオへの信頼

原摩利彦
原 摩利彦

このコンクリートの空間はとても好きです。いわゆるコンサートホールのステージと違って、客席とシームレスにつながった平面上で演奏できる。音の反射も、自分の求める響きに近いですね。スピーカーもエンジニアもものすごく優秀で、スタートラインである音響が完成されているので、あとは自分たちがどう演奏するかを問われた。その答えとして、空間に合わせて音を減らしたりしています。

今回は会場でのリハーサルもしましたが、当日は実際の音を聴きながら、それぞれ自由にセッションに近い形で合わせていく…その場でもう一度作曲し直すようなスタンスで演奏します。

原摩利彦
原 摩利彦

京都は、特に丸太町のCLUB METROを中心に、電子音楽が大きなパワーを持っていますね。僕も若い時からお世話になったし、ダムタイプの方々ともあそこで出会った。ほかにも拾得や磔磔はいい場所ですね。大阪ではunagidani sunsuiなどに足を運んでいました。

京都に住んでいますが、こだわっているというわけではなく、東京からお誘いをいただいて悩んだこともあります。ですが音楽以外で面倒な付き合いが増えるのは困る。ダムタイプの方々のように、京都を拠点に世界で活躍している先輩も多いので、もう少しここで頑張ってみようかなと。頑張っていたら今度は逆に向こうから会いに来るだろうと。

原摩利彦
原 摩利彦

コラボレーションでは、自分だけでは出せないものを引き出してもらったり、一人で行けない到達点に行けることがあります。ただそれだけではなく、自分一人の責任で判断するのも好き。どちらもやっていきたいですね。

これまでソロのアルバムも出していますが、どうしても舞台や映画の方が力が強くて…。今、やっと落ち着いて自分の音楽に注力できる環境になってきたかな、と思います。

原摩利彦
原 摩利彦

2020年コロナ禍のときにオーケストレーションの勉強をして、それ以来大きな編成も書くようになりました。須原さんや多井君はこの時から参加してくれて、ここ5年ほどでいろんな劇伴やコンサートを一緒に作り上げてきた仲間なんです。

彼らと一緒にやることで、音色だけでも自分一人とは違うものが出てきますし、編曲も僕一人でなく、それぞれがやっているんです。楽譜データを共有してそれぞれアレンジして、音を出して調整、という。

1996年に坂本さんのトリオツアーに衝撃を受けて、今年でちょうど30年になります。同じトリオ編成では坂本さんの真似をするようで躊躇もあったのですが、今は自然にやれるようになりました。今回のコンサートはメロディアスな曲構成ですが、メンバーそれぞれ引き出しの多い方々で、もっととがった激しめの曲もできるので、シーンに合わせていろいろやっていければと思います。

今まで接点のなかった人たちが僕の音楽を聴いてくれるようになったのは、素直にうれしい。また、メジャーアーティストとのコラボのオファーも来るようになりました。今は分野の垣根がどんどんなくなっているので、これから楽しみでもありますね。

このインタビュー翌日に開催されたコンサートでは、トリオのアンサンブルが満席の会場を満たし、深い余韻に包まれながら幕を下ろした